米国獣医麻酔疼痛管理学会誌に掲載された臨床試験の紹介です。犬において「内関」というツボの鍼治療により、術前投与した鎮痛剤ヒドロモルフォンの催吐作用を抑制できるか検討が行われたものです。
論文情報
Scallan EM & Simon BT. The effects of acupuncture point Pericardium 6 on hydromorphone-induced nausea and vomiting in healthy dogs. Vet Anaesth Analg. 2016 Sep;43(5):495-501. doi: 10.1111/vaa.12347.
試験方法
無作為化比較対照試験
被験動物
セントクリストファー・ネイビス連邦ロス大学獣医学部の地域病院に避妊または去勢を目的に来院した健康(米国麻酔学会クラス I)な雑種犬81頭(1.8 ± 1.6 歳・14.5 ± 5.6 kg・雌75頭・雄6頭)。年齢、体重、性別に群間差なし。
試験群
以下の3群に27頭ずつ無作為に割り付け。
- 内関(PC6)に施針
- 尺沢(LU5)に施針
- 鍼治療なし(対照群)
試験の流れ
- 術前12時間絶食
- 0分:個室で専門医が両側の内関または尺沢に施針(径0.16・0.18・0.2・0.3 mm)。針は留置したまま。対照群は施針なし。
- 0~30分:流涎・リッキング・嘔吐の回数を測定(ベースライン値)。鍼治療の知識や経験がない獣医学生が実施(盲検化)。
- 30分:ヒドロモルフォン(0.1 mg/kg)、アセプロマジン(0.03 mg/kg)を筋注。
- 30~45分:流涎・リッキング・嘔吐の回数を測定。同じ担当者による。
- 45分:麻酔科へ移動、手術を実施。
統計解析
- 年齢、嘔吐回数、リッキングスコア:Kruskal-Wallis + Dunn’s(ポストテスト)
- 性別、流涎頭数、嘔吐頭数:Fisher’s exact test
- 体重:ANOVA
結 果
ベースライン(0~30分)
- 全頭嘔吐なし。流涎・リッキングに群間差なし。
ヒドロモルフォン投与後(30~45分)
- 嘔吐頭数:内関施針群で、尺沢施針群・対照群より有意に低値
- 嘔吐回数中央値:内関施針群で、尺沢施針群より有意に低値。
- リッキング頭数/リッキングスコア:群間差なし。
- 流涎頭数:群間差なし
結論・考察
- 内関への施針により、ヒドロモルフォン投与後の吐気症状(流涎・リッキング)には変化がなかったが、嘔吐は有意に抑制された。
- 尺沢の鍼治療には嘔吐抑制効果はなかった。
- 内関の鍼治療は、専門医ではなくても比較的簡単に習得できるため、鍼治療は嘔吐抑制薬よりも低いコストでオピオイド鎮痛薬の副作用を抑制することができる。
考えられる機序
内関の刺激 → 中枢神経系より内因性オピオイドの放出 → 嘔吐中枢の抑制 → 化学受容器引金帯に対するヒドロモルフォンの作用を抑制
獣医師の解説
内関(PC6)は、前肢の内側(人でいうと手首の内側)にあるツボです。
解剖学的には、内側・外側前腕皮神経が走行する部位にあたり、鎮静、吐気・嘔吐抑制、鎮咳効果を示します。犬の車酔いにもよく使用されるツボです。
一方の尺沢(LU5)は、肘の内側にある頭外側前腕皮神経が走行する部位で、湿性の咳、前肢先端の麻痺、肘痛などに緩和効果を示すツボです。鍼灸学的には、内関とは異なる経絡上にあり、嘔吐などの消化器系の症状には作用を示さないため、今回の研究で対照処置の一つとして選択されています。
オピオイド系鎮痛剤であるヒドロモルフォンは、海外では手術に伴う疼痛やがん患者の慢性疼痛の緩和などを目的に使用されていますが、鎮痛作用を示す前の段階で化学受容器引金帯のオピオイドδ-受容体に作用して嘔吐を引き起こすと考えられています。ただし、ヒドロモルフォン自体は麻薬性鎮痛薬であり、日本では未承認薬であるため、日本の一般的な獣医診療で使用されることはありません。
そのため、内関の鍼治療の実際的な応用としては、抗がん剤等の薬剤、乗り物酔いなどによる吐気・嘔吐の緩和になります。また、行動問題、循環器系の疾患などの治療にも使うことがあります。